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世界連邦運動について

世界における運動

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古くからある世界連邦につながる思想が、 第二次世界大戦後に実践運動へと発展。

世界連邦という思想は古くから存在しましたが、広島・長崎へ原爆がもたらした惨状が世界に知られ、世界連邦をつくって恒久平和を実現しようという運動が欧米諸国に急激に進展しました。

物理学のアインシュタイン博士は、日本初のノーベル賞受賞者・湯川秀樹博士と会った際、「自分の研究理論が原爆に利用され、あなたの国に落とされてしまって申し訳ない」と涙を流し、ともに世界連邦をつくるために努力することを誓い合ったと言われています。

1946年に「世界連邦政府のための世界運動(WMWFG)」が組織され、1947年スイスでの第1回大会において、モントルー宣言(世界連邦の6原則)を発表しました。その後、同組織は現在のWFM(World FederalistMovement)と改称されました。WFMの国際事務局はハーグ(オランダ)とワシントン(アメリカ)の2カ所に置かれており、28の国と組織から成りたっています。

1. 古典的な世界政府論

世界国家や政界政府という考えは、歴史的に非常に古くからあったもので、決して新しいものではありません。 例えば、14世紀初頭に有名な『神曲』を書いたイタリアの詩人ダンテは、その著『帝政論』の中で、唯一の君主による世界国家論を説き、また17世紀初頭フランス王アンリ4世は「アンリ4世の大計画」として知られる案を提案しましたが、これはヨーロッパのキリスト教国15カ国連合組織を作り、これによって、これら諸国の平和と安全を保持しようとするものでした。

そして、その後も、ヨーロッパでは、例えば、ウィリアム・ペンサムや、サン・ピエール、インマヌエル・カント、といった人びとによって、いろいろな世界国家案が出されましたが、その多くは思想家や哲学者などによるものであって実現の基盤を欠き、しかもその場、世界といっても、それは主として西ヨーロッパを意味していました。当時の彼らによってはヨーロッパが世界そのものだったのです。

一方、日本では小野梓(1852~ 1886)、植木枝盛(1857~ 1892)、中江兆民(1847~ 1901)、福沢諭吉(1834~ 1901)といった自由民権論者の思想に世界連邦の思想を汲み取ることができます。

2. 第二次世界大戦後の世界連邦運動

第二次世界大戦後、急速に発展を見た世界連邦運動は、それ以前のものとは本質的に違ったものでした。まずそれは第二次世界大戦後、特に原爆という人類が払った大きな犠牲を貴重な教訓としており、その運動の範囲も西ヨーロッパに限定されておらず、また、それは始めて単なる思想の域を超えて、一般民衆をも含めた一つの実践運動ともなったのです。

特に初期の段階で、この運動の発展に大きな影響を与えたものに、大戦末期(1945年6月)アメリカで出版された、エメリー・リーブスの『平和の解剖』(邦訳=稲垣守克・毎日新聞社)という本をあげることができます。 それは日本語も含めて25カ国において20の国語で出版され、30の異なる版をだし、世界連邦思想の普及に画期的な役割を与えました。この本がなぜそれほどの影響を人びとに与え、世界連邦主義者のバイブルのようになったかといえば、それは著者が経験的な歴史法則として、戦争の発生と戦争終了の法則を極めて明快に指摘し、この地球上から戦争をなくすためには、「分裂しあい闘争する民族主権を、一つの統一された、より高次の主権のもとに統合すること」であると述べたからです。 彼は次のように書いています。

「社会単位を形成する人間集団間の戦争は、これらの社会集団、つまり、部族、王朝、教会、都市、民族が無制限の主権を行使したとき常に発生する。 これらの社会集団間の戦争は、主権的権力が彼らから、より大きな、より高次の単位に移されたときに終わる。しかし、それによってたとえ平和がもたらされても、新しい主権単位がさらに接触し始める、また戦争が始める」。

『相対性理論』で有名なアルバート・アインシュタイン博士や日本で最初にノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士など世界的に著名な科学者たちは、核戦争による人類全滅を避けるために、他のいかなることにも優先して、国連の改革、強化による世界連邦の樹立を断行すべきだと力強く訴えました。

3. モントルー宣言と世界連邦憲法草案

各国の熱心な世界連邦主義者達は、1946年、ルクセンブルグに集まっ て、「世界連邦運動」(WFM)の前身である「世界政府のための世界運動 (WMWFG)」を組織し、その第一回大会を、翌47年、スイスのモントルーで 開きました。23カ国から51の団体代表が集まり、いわゆる「モントルー宣 言」を発表し、世界連邦の6原則を明らかにしました。

モントルー宣言(1947)世界連邦の6原則
  1. 全世界の諸国、諸民族を全部加盟させる。
  2. 世界的に共通な問題については、各国家の主権の一部を世界連邦政府に委譲する。
  3. 世界連邦法は「国家」に対してではなく、1人1人の「個人」を対象として適用される。
  4. 各国の軍備は全廃し、世界警察軍を設置する。
  5. 原子力は世界連邦政府のみが所有し、管理する。
  6. 世界連邦の経費は各国政府の供出ではなく、個人からの税金でまかなう。

運動の進め方としては、「国連を改革して世界連邦政府に発展させる方法」「世界人民の世論を喚起して人口比例の代表により世界憲法を起草するための人民会議を招集する方法」などを採択しました。

1945年8月、広島、長崎への原爆投下のニュースが世界を驚かせてまもなく、シカゴ大学総長ロバート・ハッチスン博士を中心に、12名の法律、政治、歴史学者たちが集まり、「世界憲法起草委員会」が生まれました。この委員会は2年半にわたり各国の憲法や、いろいろな資料を検討し、1948年に「世界憲法案」を発表しました。この憲法草案は100万人に1人の人民代表によって世界議会を構成し、行政、司法の各部門を設け、世界法を制定し、世界大統領を選挙して、これを統治せしめるという47カ条からなる 堂々たる憲法草案であります。

Photo Credit: モントルー宣言75周年記念スピーチ、A Speech at the 75th Anniversary of the Montreux Declaration.(Photo by World Federalist Movement)